娘のushioです。
母が畑作業をお休み中なので、今回は母の畑のBefore-Afterを載せたいと思います。
いま畑のある場所は、もともと家が建っていました。
”建っていた家”は、実家ではありません。
実家近くにあった築古物件を母が買いました。
<解体前に業者さんが撮影した写真>
弟家族が一時期住んでいたんですが、下水が詰まり、修復も難しいという状況に。
母が、この中古住宅を解体し更地にすることを決断しました。
解体更地にする工事のあいだ、母は肺炎で入院中。
作業内容の確認のため、入院中の母のケータイに業者さんからときどき電話がかかってくるのですが、すべて母が病床で判断・指示して無事に更地が完成しました。
(すごいバイタリティーですよね)
<2018年年末撮影>
更地になった土地をみて、いっさい家のことに興味がなく非協力的だった父が「畑やるぞー!」と言い出し。
「やる気になってるのなら」「退職後の趣味になるなら」と、とりあえず父に任せてみました。
<2019年3月撮影>
まぁ家族全員わかってましたが、父がやる気になったのは最初だけ。
管理を放置してその年の夏はこのように草だらけ。
<2019年8月撮影>
そのころの母は、日中ベッドから起き上がって活動するのがまだ難しかったので、草だらけの畑をどうすることもできず。
私が帰省したときに母の指示で草抜きをしました。
この高さの山をいくつも作るほど草を抜いても、
これだけしか変化がなく心折れる私(笑)
その後、母の飲み薬が変わったことでセキが減り、少しずつ体力回復。
秋に向けて気候もよくなってきたところで、母自身で畑を整えていきました。
<2019年10月 母撮影>
私が夏に抜いて放置していた草をまとめて捨てに行くところ。
<2019年10月 母撮影>
母が1人で草を全部抜いて整えたところ。
<2019年12月撮影>
年末に帰省した時の写真です。
ピンク色の服を着ているのが母。青いのは酸素ボンベです。酸素を鼻から吸いながら畑作業をしています。
私はこのとき右手前にあった土の山を必死に崩して畑にまいていました。
母と協力して堆肥も撒きました。
この頃、母は数時間にわたって畑作業できるようになっていました。夏の帰省時とは比べものにならないくらいの体力。
2019年年末以降、コロナ禍に突入し私は帰省していません。
母が1人、自分のペースでぼちぼちと畑づくりをして今に至ります。
<2022年正月 母撮影>
畑の変遷、いかがだったでしょうか。
また定期的に(年に1~2回?)畑の移り変わりを記事にしていこうと思います(´▽`)
***********
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しています。
以下のバナーをどれかひとつ
ポチっと押してくださるとうれしいです。
このブログにポイントが入り
ランキングが上がる仕組みです。